石橋湛山全集・高橋亀吉著作集
タイトル名
石橋湛山全集(全16巻)
(A5版・平均640ページ、各巻に注解、解説、関係小年表を付す)
内容
明治・大正・昭和にわたり真の経済発展の道と国際平和主義・民主主義の実現を訴えつづけた不屈の自由主義言論人・政治家石橋湛山(1884-1973)の業績を全16巻に集大成(うち2011年刊の第16巻は新発見論文等を収めた補巻)。
第1巻 自由主義思想の原点――初期の思想・政治評論――
1909(明治42)年~1915(大正4)年
第1部 初期の思想・文芸・社会批評
第2部 普通選挙の提唱と帝国主義への警告
第3部 政治・社会・文明時評
第4部 『世界の宗教』
早稲田大学哲学科を出た石橋湛山の言論活動は、おりから勃興しつつあった自然主義文学の究明から出発し、内外の作家・思想家の作品に鋭利なメスを振るい、いちはやく婦人解放問題を取り上げた。「憲政擁護・閥族打破」の叫びに始まった大正時デモクラシー時代を迎え、政治・外交・経済・社会などの領域に筆を広げ、普通選挙の提唱、第1次大戦への参戦反対、対華21カ条への警告など、同時代の水準を超えた言論を展開した。
第2巻 非戦・平和論の展開――第1次大戦下の論策――
1915(大正4)年~1918(大正7)年
第1部 労農ロシアの誕生と日本の政治・外交政策
第2部 大正前期の産業・経済政策
第3部 政治・社会・文明時評
第4部 思想・教育・雑纂
日本は第1次大戦に参戦して中国の「青島」(ドイツ基地)を占領、段祺瑞政権に21カ条要求を突きつけ、戦線から離脱したロシア革命軍に干渉するためのシベリア出兵を敢行するなど大陸進出行動を強めた。石橋はこうした政策は将来に禍根を残すものと厳しく批判し、労農ロシア政府の承認を求めた。さらに第1次大戦後の変化を予見しながら、世界平和機構の創設と対独講和条件をさぐり、戦後日本の目ざすべき「人中心の産業革命」を提唱した。
第3巻 デモクラシーの高唱――第1次大戦後の論策――
1919(大正8)年~1920(大正9)年
第1部 第1次大戦後の政治・外交に対する提言
第2部 国際連盟・講和問題に対する策論
第3部 経済政策に対する提言
第4部 労働運動の台頭と紛争処理案
第5部 政治・社会・文明時評
第1次大戦は連合国側の勝利に終わり、世界は民族自決とデモクラシー思想の高揚期を迎えた。冬の時代といわれた日本でも民主化・近代化の思想が広がり、石橋は徹底したデモクラシー理論に立脚しながら、普通選挙の実施、政党政治の確立、労働組合公認、ソビエト承認と国交回復を提唱。さらにパリ講和会議における過酷な対独講和条約案は将来の世界に禍根を残すものだと強く警告した。「早稲田騒動」への関与論文も収録。
第4巻 軍縮・植民地放棄論――大正デモクラシーの高揚期(1)――
1921(大正10)年~1923(大正12)年
第1部 軍縮・外交問題に対する提言 第1次大戦後の世界は矛盾をはらみながらも、平和の確保を理念とする国際連盟を軸に新たな歩みを始めた。しかし日米英は主導権をとろうと建艦競争を開始し、アジアでは大陸進出をめざす日本に対し中国が激しく対立した。これらを解決するため、1921年にワシントン軍縮会議が開かれたが、石橋は日本の孤立と日米衝突の危険を警告し、朝鮮、台湾、満州など一切の植民地放棄《小日本主義》と、太平洋をめぐる徹底的な軍縮を提案した。
1924(大正13)~1927(大正27)年 第1部 第2次護憲運動と外交・軍縮問題 清浦超然内閣の出現に対し、政友、憲政、革新の三党は結束して選挙に大勝、加藤三派内閣を組織して治安維持法と抱き合わせに男子普通選挙法を成立させた。『東洋経済新報』第5代主幹となった石橋は、治安維持法反対とともに政党政治確立のための提言を続け、関東大震災では具体的再建策を提案した。昭和初期の争点となる新平価金解禁論を初めて提唱。本巻は人知の開発を核とする「石橋経済学の成立」を示す『新農業政策の提唱』を収録。 1927(昭和2)年~1929(昭和4)年 第1部 昭和金融恐慌の勃発と金解禁問題 昭和時代は金融恐慌と山東出兵に始まり、議会では初の普通選挙による無産政党代議士が登場、政党政治は戦前の頂点を現出した。軍部は国際的な軍縮機運に抵抗しつつ山東出兵など大陸への危険な道を歩み始めたが、石橋はこれを批判しつつ当時の金本位制復帰問題に焦点を当て、高橋亀吉ら少数同志とともに浜口内閣の旧平価解禁論(デフレ政策)を痛撃し、物価維持の新平価解禁論を展開した。本巻は論集『金解禁の影響と対策』を収録。 1929(昭和4)年~1930(昭和5)年 第1部 金輸出解禁論争の展開 1929 年《暗黒の木曜日》のニューヨーク株式暴落に発する世界恐慌が広がるなか、翌年1月、浜口内閣の井上蔵相は旧平価金解禁を断行、日本経済は円切上げ効果により深刻なデフレに陥った。石橋は重ねて政府の誤った解禁方式に痛烈な批判を加えつつ、対案として金輸出再禁止(金本位制離脱)と、ケインズ的リフレ―ション政策を提唱した。同時に満州事変、統帥権問題にみる軍部の暴走に警告し、立憲主義と政党政治の擁護を訴えた。 1931(昭和6)年~1932(昭和7)年 第1部 「満州事変」とファシズムの台頭 旧平価金解禁断行は世界恐慌とあいまって未曾有の《昭和恐慌》を巻き起こし、都市には操業短縮・倒産・失業の嵐が吹き荒れ、農村には米価暴落・欠食児童・娘の身売りなどが現れた。政党政治不信、財閥批判の声と合わせ軍部の暴走が相次ぎ、犬養首相の暗殺《五・一五事件》で政党内閣時代は葬り去られた。石橋は事件を厳しく批判しつつ、金輸出再禁止とリフレーション政策とを提唱した。代表作『インフレーションの理論と実際』を収録。 1933(昭和8)年~1935(昭和10)年 第1部 「満州事変」後の政治・外交に対する提言 満州事変後の日本は、ファシズムの台頭と政党勢力の後退により軍国主義化が急速に進み、ドイツのヒトラー政権とともに国際連盟脱退、ワシントン軍縮条約破棄、ロンドン軍縮会議脱退へと国際的孤立を深めた。石橋は高橋是清蔵相にケインズ的財政金融政策を提案し、金本位制離脱後の内外経済の動向や外国のソーシャル・ダンピング非難に反論しつつ、軍部の圧力と政府の言論・学問・思想の自由に対する弾圧強化に果敢な批判を加えた。 1936(昭和11)年~1937(昭和12)年 第1部 準戦時体制下の政治・外交批判 1937年の二・二六事件に続く翌年7月、北京近郊の蘆溝橋事件を機に《日中戦争》が勃発した。戦争拡大とともに近衛内閣の方針は軍部主導へと変貌し、日独伊三国軍事同盟へと向かった。石橋は日中衝突の情勢を憂慮しつつ、軍部の拡大行動、議会政治否認の形勢に対し果敢な批判を行い、国家総動員法による統制強化に対して経済合理性を対置し、戦争の不拡大、ブロック経済批判の論調を続けた。これを集大成した『激変期の日本経済』を収録。 1938(昭和13)~1940(昭和15)年 第1部 日中戦争下の政治・外交論 近衛首相の声明「蒋介石を対手にせず」により、日中全面戦争へ拡大したが、軍部と革新官僚とは国家総動員体制を固め、「東亜新秩序の建設」をスローガンに国民を戦争へとかり立て、メディアもこれを支持した。石橋は有史以来の「真の非常時」ととらえ、日本の耐戦力の限界を指摘して早期停戦・和平を訴え、平沼内閣の日独伊三国同盟交渉に痛烈な批判を加え(全文削除)、迫りくる太平洋戦争に警鐘を鳴らした。本巻には独自の『日本金融史』を収録。 1941(昭和16)年~1945(昭和20)年 第1部 太平洋戦争下の政治・外交論 近衛内閣の松岡外相はヒトラーの一時的勝利に眩惑されて日独伊三国同盟を結んで米英との対立を決定的にし、東条内閣は1941年12月、ハワイ攻撃をもって《太平洋戦争》に突入した。石橋は戦争回避のため外交方針の転換を訴えていたが、開戦後は「超長期戦」の見通しと戦時経済の問題、大東亜共栄圏の困難等について論じ、戦争を1日も早く終わらせるために、「自爆の覚悟」のもとに自由主義言論人として圧迫に臆せず発言を続けた。 1945(昭和20)年~1951(昭和26)年 第1部 日本の再建に対する策論 敗戦により日本は軍事大国から平和国家へと一大変革に直面したが、石橋は科学精神に徹することで再建は可能だと国民を励まし、自らその仕事に当たるため自由党から総選挙に出馬した。第1次吉田内閣の蔵相として「石橋積極財政」を進めたが、GHQの緊縮財政政策と対立して公職を追放された。本巻では、新憲法の歓迎、靖国神社廃止論、財政演説、追放への弁駁など、戦前から一貫する自由主義者・石橋湛山の真骨頂が示されている。 1951(昭和26)年~1969(昭和44)年 第1部 講和条約締結と日本の再建構想 4年半にわたり政治活動を禁止された石橋は、講和独立前に政界に復帰し、鳩山内閣の通産相を経て1951年12月、第55代首相となった。だが2カ月余りで突然の病気に倒れ、議会政治の停滞は許されないと潔く辞任した。本巻には、講和独立前後の経済政策とドッジ構想の批判、首相就任とその構想―政治・外交・経済政策―、首相辞任の書簡、中国およびソ連訪問の発言、アジア冷戦の終結をめざす「日中米ソ平和同盟構想」など最晩年の提言を収録。 本巻には、『湛山回想』・同補遺3点のほか、全集総目次・石橋湛山年譜・,論文目録・座談会記録・講演記録・総索引を収録し、2011年発行の補巻(第16巻)に関連する事項について補訂した。 1900(明治33)年~1966(昭和41)年 第1部 明治大正期の社会・思想評論 『石橋湛山全集』全15巻の刊行(1970~1972年)から40年、2010年11月に創立115年を迎えた東洋経済新報社は、これを記念する各種の事業を実施した。本巻はその一環として企画され、全集刊行後に発見された論文、随想、中学時代の習作、GHQの発禁処分を受けた論文(プランゲ文庫所蔵)等を中心に、前全集で割愛された重要論文、講演、1934年創刊の月刊英文雑誌The Oriental Economistに掲載の一部文章など89点を採録した。(注解、解説、初出目録、索引を付す)
第2部 第1次大戦後の世界展望
第3部 産業・経済政策への提言
第4部 政治・社会・文明時評
第5部 思想・雑纂
第5巻 石橋経済学の成立――大正デモクラシーの高揚期(2)――
第2部 財政・経済政策に対する提言
第3部 『新農業政策の提唱』
第4部 政治・社会・文明時用
第5部 教育制度改造論第6巻 新平価解禁の提唱――昭和初頭の経済論争(1)――
第2部 第1回普通選挙と政治・外交問題
第3部 『金解禁の影響と対策』
第4部 政治・社会・文明時評第7巻 金解禁論争の展開――昭和初頭の経済論争(2)――
第2部 政治・外交問題に対する策論
第3部 「日本金融史」
第4部 時評・雑纂第8巻 経済恐慌と満州事変――恐慌下の経済政策論――
第2部 世界恐慌と内外経済の展望
第3部 『インフレーションの理論と実際』
第4部 時評・雑纂第9巻 ファシズムへの警鐘――非常時局下の論策――
第2部 世界恐慌と国際通貨制度に対する策論
第3部 不況克服期の財政・経済政策
第4部 時評・雑纂第10巻 日中戦争への警告――準戦時体制下の論策――
第2部 『激変期の日本経済』
第3部 随想・雑纂第11巻 総動員体制への批判――日中戦争下の論策――
第2部 戦時経済体制下の財政・経済政策
第3部 内外政治・経済情勢の展望
第4部 『日本金融史』
第5部 時評・雑纂第12巻 戦時下言論人の試練――太平洋戦争下の論策――
第2部 戦時経済に対する策論
第3部 『満鮮産業の印象』
第4部 時評・随想・雑纂第13巻 戦後日本再建への提言――政治家への転進――
第2部 蔵相就任と「石橋財政」
第3部 公職追放に対する弁駁
第4部 「戦後日本のインフレーション」
第5部 『サラリーマン重役論』
第6部 随想・雑纂第14巻 あすの日本への指針――首相就任とその構想――
第2部 日本の政治と国際平和に対する提言
第3部 首相就任とその構想
第4部 世界平和と日本の将来第15巻(補訂)――『湛山回想』・研究資料(年譜・論文目録など)――
第16巻 (補巻)――新発見論文の追補――*本巻の刊行は2011年。
第2部 昭和前期の政治経済論
第3部 昭和戦後期の政治経済論
第4部 回顧と随想